世界一周旅行記一覧
20歳、初めての海外旅行で世界一周したときの旅行記です。『80日間世界一周』ならぬ、『79日間世界一周』。西周りで11カ国を訪問しました。
初めての海外旅行であるうえに英語はまったくできず、さらにはガイドブックも持たず、海外旅行保険すら掛けないという無謀(アホ)さ。旅先で現地警察のお世話になること3度(爆)。その他様々なトラブルにもめげず、世界一周を達成するまでのドタバタを綴っています。
※このカテゴリのみ、上から順に時系列に並んでいます(全61話)。
【プロローグ1】
何の希望もなく、何の目的もなく、ただ何となく生きていた20歳のある日のこと。
バイト先に、その日たまたま一緒に仕事をすることになった見知らぬおじさんがいた。
そのおじさん、自己紹介のつもりなのか、いきなり、
「俺はアマゾンから来たんだぁ」
と、さりげなくひと言。
【プロローグ2】
すっかりアマゾンに行く気になり、ブラジルまでの具体的なルートを調べたり、アレコレ想像したりしているうちに、未知なるものへの好奇心が一気に燃えあがった。
ブラジル以外にも、寄ってみたい国が次から次へと溢れ出す。
アメリカ、ペルー、フランス、インド、タイ・・・
もはや思いつくままに、この際行けるところは全部行ってやれ!という気になっていた。
経験がないものだから、距離感も現実感もまるでなく、ほとんど妄想状態で、外国というものを安易に考えていたのだ(あるいは、何も考えていなかったのかも・・・)。
【プロローグ3】
情報収集をすすめていくうちに、「世界一周航空券」なるものがあることを知った。
早速、旅行会社へ行って聞いてみると・・・
行きたい都市やルートを明確にするのはもちろん、具体的な日程を決めないと料金も算出できないとのことだった。
つまり、世界一周航空券を買うにはキッチリしたスケジュールをたてる必要があって、買ったあとはスケジュールどおりキッチリ行動するしかない、ってこと?
・・・そんなの、イヤだ!
【プロローグ4】
資金はコツコツ貯めていたものの、具体的にいくら必要なのかがわからなかった。
ガイドブックなどで物価を調べても実感がわかず、1泊300円などと書いてあっても古い情報かもしれないし、ちょっと信じ難い。細かいところでハッキリしない部分も多い。
そもそも、どの国に何日間滞在・・と具体的に決めているわけではなくて、ほとんど行き当たりばったりの計画だったので、見積りの出しようもない。
とりあえず、根拠もなしに、100万円を目標に貯めていた。
【出発当日1】
通常、国際線のフライトでは“出発時刻の2時間前までに”空港に到着し、チェックイン(搭乗手続き)をすることになっている。
私もチケットを買ったとき、確かにそう言われた。
ところが・・・
出発時刻の2時間前、私はJR「東京駅」構内でオロオロしていたのだった・・・。
【出発当日2】
成田エクスプレスの「グリーン車」に駆け込み乗車。
新幹線でもないのに、たった1時間の乗車で五千○百円という料金から、グリーン席というのがフツーの席でないことは容易に想像できるが、一体どんなものなのか。
わくわくドキドキ・・・なんてしている余裕など、あるはずもなかった。
この便に乗れるかどうかでかなりパニクっていたので、乗ってしばらくのあいだは放心状態だった・・・。
【出発当日3】
出発時刻まで55分しかなかったので、成田空港駅に着くなり猛然とダッシュ!
・・・と思ったら、いきなり空港ターミナル入り口のところに行列が?
「な、なんじゃこりゃああ!」
ここで一旦荷物とパスポートのチェックをするらしい(想定外)。
こんなに猛烈に急いでいる時に行列なんて、最高にイライラする。
【出発当日4】
成田発バンコク行きの機内で、放心状態からやや落ちつきを取り戻しはじめた頃、何やら全員に紙が配られた。
タイの出入国カードだった。
当然だが、すべて英語(&タイ語)で書いてあり、すべて英語で記入しなければならない。
記入する英語も問題だが、それ以前に書いてあることがほとんど理解できない。
「うーん・・・困ったなぁ」
【出発当日5】
そうこうしているうちに、飛行機はアッと言う間にバンコク・ドンムアン空港に到着してしまった。
オイオイまだ心の準備ができてないよー!と叫びたかったが、そうも言ってられないので、まわりの人々の流れに従って降機し、入国審査へと進んだ。
幸い心配していたようなことは何もなくスムーズに入国審査を通過し、預け荷物もなかったので、他の乗客たちよりも一足先に広い到着ロビーに出た。
【2日目1】 タイ・バンコク
深夜のバンコク・ドンムアン空港。
生まれて初めて異国の地に降り立ったものの、外に出られないもどかしさを感じながら、まんじりともせずに夜明けを待ち続けた。
数時間後、人々のざわめきとともに、空も白みはじめてきた。
多少の不安もあって、万全を期すために?完全に陽が昇るのを待ち、いざ、空港の外へ出陣!
【2日目2】 タイ・バンコク
ドンムアン空港から颯爽と街へ繰り出す・・はずが、言葉ができないがために聞くにも聞けず、バス停で立ち往生・・・。
しかし、乗るべきバスもわからずにバスを待ち続けることの無意味さを悟り、覚悟を決めて、エイヤ!っと適当なバスに飛び乗った。
【2日目3】 タイ・バンコク
ドンムアン空港から、なぜか「歩いて」バンコク市街に向かう羽目になった私・・・。
腹ごしらえも済み、再び歩き始める。
1時間ほども歩いた頃だろうか、かなり大きな豪華な建物が出現。「LAKSI PLAZA」とある。
なかなか立派な造りではあるが、中に入ってみると、どことなくさびれた雰囲気が漂う。
マクドナルドがあったので、入ってジュースを飲むことに。
しかし・・・ここは一体バンコクのどの辺りなんだろう??
【4日目】 タイ・バンコク
インドのビザを申請するため、バンコク市内にあるインド大使館を訪れた。タイの次はインドに飛ぶ予定だったのだ。
何はともあれパスポートが必要だろうと思い、おもむろにバックパックから取り出そうとする。
・・・・あ・・・れ・・れ?
パスポートが・・・・・無い!?
一瞬にしてアタマの中が真っ白になり、あわてふためいてバックパックの中をまさぐるが、見つからない。
・・・こ、こりゃあインドのビザどころじゃないぞっ!!!
【6-13日目】 タイ・バンコク-チェンマイ-バンコク
無様にもしょっぱなからパスポートを失くしてしまい、計画は大きく狂ってしまった・・・。
しかし、泣いてもわめいてもパスポートができるまでの1週間、ひたすら待つしかなかったので、この際気分転換にのんびり観光でもしようと思った。
考えようによっては、その間はパスポートを盗られる心配もないわけだから、気楽なものだ。
北部チェンマイに行き、トレッキングを存分に楽しんだ。
【13-14日目】 タイ・バンコク
片道航空券を買うためだけに、本来必要のないアメリカのビザを安くもない手数料を払って取得したというのに、結局お目当てのチケットは買うことができなかった・・・。
「・・・じゃあ、もうチケットはいいからデポジットを返してくれ」
早々に見切りをつけた私は旅行会社の人に言った。ところが・・・
【15-16日目】 タイ・バンコク
世界一周!などと勇んで飛び出してきたものの、2週間経ってもまだ最初の経由地バンコクでうだうだしている私・・・。
とにかくもう、1日もはやく飛びたかった。
が、チケットが見つからない。
【19-20日目】 トルコ・イスタンブール
トルコといえば、やはり「トルコじゅうたん」。
イスタンブールの街には、無数のじゅうたん屋がある。
しかし、貧乏旅行者には無縁のものだ。見るだけ。
街を歩いていると、現地人に“日本語で”話しかけられた。
おおっ!こんなところで日本語?と驚きながらしばらく話していると、なぜかじゅうたんの話になり、半ば強引に、じゅうたん屋に連れ込まれてしまった。
【22-23日目】 トルコ→ギリシャ
トルコが気に入らなかったわけでもないが、タイで時間を浪費しすぎたことと、タイよりも物価が高かったことから、ゆっくり滞在する気にはなれなかった。
トルコ国内は足早に通りすぎ、クシャダシという港町からフェリーでギリシャのサモスという小さな島へと向かう。
【24-25日目】 ギリシャ・サモス島
サモス島は良いところではあったが、ノンビリするつもりはなかったし、部屋をシェアした韓国人に誘われたこともあり、翌日一緒にアテネに向かうことになった。
サモス島からアテネ近くの港までは船で行く。サモス島に来るときに乗ったフェリーとは違い、かなり大きな船だ。
船に乗り込んで出航を待つが、予定時刻を大幅に過ぎても、一向に動き出す気配がなかった。
他に乗客も多数いたので聞いてみるが、事情はよくわからない。
【26-27日目】 ギリシャ→イタリア
アテネ⇒ローマ(バチカン)⇒べネチアと、駆け抜けるようにして通り過ぎた。
アテネでは韓国人青年と別れ一人になったが、イタリアへ向かう船の中で一人旅の日本人女性と知り合い、ローマではまた別の日本人旅行者に誘われ、3人で観光することになった。
今回の「旅」は自分の中では「冒険」だったので、観光名所を見てまわるような、いかにも「観光旅行」的なことをするつもりはなかったが、こんなのもたまにはいいかもしれない。
【29-30日目】 イタリア・ベネチア→ミラノ
べネチア(ベニス)からミラノへ向かう夜行列車。
『ユーレイルパス(※)』を使っていた私は、身分不相応な1等のコンパートメント(※※)に乗り込むが、他に乗客もない。
6人分の座席を独り占めし、私だけの快適空間に。
真夜中、列車の心地よい振動に身をゆだね、心安らかに眠りについていると・・・なにやら、お腹の辺りがもぞもぞっ、モゾモゾっ。
【31日目1】 イタリア・ミラノ
翌朝、列車は無事ミラノ駅に到着。
ホームに降り立つと、若い警察官らしき人がツカツカと近づいてくる。
イタリア語で何やら話しかけてくる・・が、当然理解はできない。
・・・しかし、有無を言わせず、強引に私をどこかに連れて行く。
【31日目2】 イタリア→フランス
フランスの「プロバンス地方」に行きたいと思っていた。
日本で「プロバンス風料理」なるものを作る仕事をしていたので、ぜひとも本場の「プロバンス料理」を味わってみたかったのだ。
しかし・・・直前になって、大きな問題が発覚した。
それは、「プロバンス地方」がどこなのかわからない、ということだ。
せめて町の名前のひとつでも知っていればよかったのだが、漠然と「プロバンス地方」というだけでは、どこへ向かえばよいのやら・・・。
ガイドブックも持っていなかったし、人に聞くにしてもフランス語はできないし、英語も通じにくいようで、お手上げだった。
それでも地図とにらめっこしながらなんとか見当をつけ、Digneという田舎町にたどりついた。
ここが本当にプロバンス地方なのかどうかは確かめるすべもなかったが、Digneは素朴で穏やかな、とても居心地の良い町だった。
【32日目】 フランス Digne-Annot
ふと、「アルル」に行きたいと思った。
はずかしい話だが、
「教えて~アルルの森の木よ~♪」
という某アニメソングの影響だ(笑)。
「アルルの森」ってどんな感じのところなのか、ぜひとも見てみたいと思った。
【32-34日目】 フランス Annot-MARSEILE-ARLES
「アルルの森」とは別にもうひとつ、「アルル」に対するイメージが私の中にあった。
それは、ゴッホの描いた「アルルのはね橋」だ。
中学の図画の教科書の表紙が、この絵だった。
私はゴッホ独特の力強いタッチに、魅了されたのだった。
【37日目】 フランス・パリ
「華の都」パリ ・・・なんて、誰が言ったのだろう。
どんよりとした灰色の空に、都会の喧騒。そして小便の臭い・・・。
華やかなイメージとは裏腹に、あまり良い印象はなかった。
日帰りでスペインまで足を伸ばしていたため、二晩続けて夜行列車に乗り、少々疲れてパリに到着。
しかしパリに長居するつもりはなく、見たいものだけ見てサッサとイギリスに向かうつもりだった。
パリで私が見たかったもの、私の貧弱な知識の中から浮かびあがってきたものとは・・・
「エッフェル塔」「ノートルダム寺院」 ・・・この二つだけ(笑)。
【38-41日目】 イギリス・ロンドン
何もかもが高い。高すぎる。
ロンドン市内の公園では野生?のリスが走り回り、都会でありながら、のどかな雰囲気も漂う。
が・・・物価の高さが殺人的で、身の毛もよだつほどだ。無言の圧力を感じる。
ヨーロッパは全体的に物価は高いが、イギリスはひときわ高いようだ。
【42日目1】 イギリス・ロンドン→アメリカ合衆国ニューヨーク州
旅行中に知り合った人がニューヨークの隣、ニュージャージーに住んでいた。
ぜひ遊びに来るようにと言われていて、電話番号も教えてもらっていたので、ニューヨーク(JFK)に着くとすぐに、空港から電話をかけた。
ところが・・・何度かけても通じない。
毎度のことだが、ニューヨークに関する情報はほとんど何も持っておらず、このツテを本気でアテにしていたので、本気で困ってしまった・・・。
【42日目2】 アメリカ合衆国ニューヨーク州
ホテル探しの最中、道端にうずくまる不気味な男に話しかけられた私。
夜も遅いというのになかなかホテルが見つからず、焦っていたこともあり、ついていくことにする。
男についていく危険性よりも、こんな殺伐としたところを独りで歩きまわることの方に危険を感じていたというのもある。
【42日目3】 アメリカ合衆国ニューヨーク州
10月下旬のニューヨークの夜は、やや肌寒い。
疲れ果てた体を休めるには堅すぎ、冷たすぎるスチール製の机の上で、胎児のように丸まるが、外気と机に体温が奪われてゆく・・・。
【42-43日目】 アメリカ合衆国ニューヨーク州
パトカーに乗せられ、連れて行かれた場所は・・・ 寂れたファーストフードっぽいお店。
日本語が話せる人がいるとのことだったが、なんのことはない、そこで働いていたのは中国人だった。
人種的には近くても、言語的には全然遠い。
一応話してみるが、当然通じるわけもない。
【43日目】 アメリカ合衆国ニューヨーク州
国連本部の日本人職員は、突然の珍客来訪にいかにも迷惑顔だった。
同じ日本人なのに・・と思わなくもなかったが、バツがわるかったので、とりあえず現在位置の確認だけして、そそくさと退散・・・。
【43-44日目】 アメリカ合衆国ニューヨーク州→チリ・サンチャゴ
ついに、憧れの南米大陸に降り立った。
南米といえば、広大なアマゾン、ジャングルだ。
サンチャゴの空港から市内へ向かうバスの中で、ワクワクしながら外の景色を眺めると・・・
あれれっ?? イメージとぜんぜん違う・・・!?
【45日目】 チリ・サンチャゴ
市街を散策中、30半ばくらいの日本人男性と知り合った。
彼は旅行者ではなく、スペイン語を習うためにホームステイしているとのことで、まだこちらに来て日が浅いらしかった。
一緒に食事をしてから街をブラつく。
歩いていると突然、大勢の人たちが大騒ぎしながら逃げ惑う場面に遭遇。
なんだかよくわからないが、人々にまぎれて一緒になって走って逃げる。
・・・変なニオイ!? め、目が痛い!! 涙が・・・
【47日目】 チリ・サンチャゴ-タクナ
南米に来たのはいいが、私が見たいのはあくまでも「アマゾン」であって、近代的な文明都市ではない。
それともうひとつ、どうしても見ておきたいものがペルーにあったので、早速ペルーを目指すことにする。
【48日目】 チリ・アリカ→ペルー・タクナ
「マニャーナ!」
ペルーに入国したはいいが、ペルーの通貨を持っていないので、両替しなくてはならない。
ところが、聞く人聞く人みんな「マニャーナ」と言うだけ。意思が伝わっているのかどうかもあやしいところだが、意味不明。
(言うまでもなく)私はスペイン語はまったくわからず、数字はもちろん、ハイもイイエも何ひとつ知らないという有様。そして現地の人は英語がまったくわからないという、意思の疎通が非常に困難な状況。
それでもお金がなくてはどうにもならないので、何人もの人に声をかける。「マネー」「エクスチェンジ!」と身振り手振りで訴えるのだが、返ってくるのは・・・「マニャーナ」「マニャーナ!」。
“マニャーナ”って、一体なんなんだ?
【49日目】 ペルー・タクナ→
行けども行けども人家も何もなく、岩と砂ばかりの荒涼とした風景が続く。
【50日目】 ペルー・タクナ-ナスカ
南米には2大テーマがあった。
ひとつは「アマゾン」で、もうひとつは・・・「ナスカの地上絵」だ。
【51日目1】 ペルー・ナスカ
その六人乗りのセスナは、少々頼りなげに見えた。
整備はちゃんとされているのだろうか?という不安もモチロンあったが、何よりもその「小ささ」が気になった。
こんなに小さな飛行機は見るのも初めてで、こんなのでホントに飛べるのかなあ?という印象だった。
【51日目2】 ペルー・ナスカ
ジェット機とセスナの違いは、大型客船と小型フェリーの違いによく似ている。
大きさの違いだけではない・・・“揺れ具合”も、だ。
・・・飛び立ってから15分程経った頃だろうか。私の肉体に、奇妙な違和感・・・異変が起こりはじめた!
【51日目3】 ペルー・ナスカ
セスナでの地上絵遊覧を終え、一旦宿に戻る。
宿は軽食屋も兼ねていて、店先にはメニューが張り出してある。
メニューの中には「JUGO DE NARANJA」なる奇妙なモノがあり、ナランジャってなんじゃらほい・・などと一人考えていると、宿の主人が、
「フーゴ・デ・ナランハ!飲むかい?」
と聞いてきた。
【52日目1】 ペルー・ナスカ-リマ
リマに着いてすぐのこと。
宿探しをしている最中、警察官らしき制服に身を包んだ男に声をかけられた。
【52日目2】 ペルー・リマ
「やあ寒いねぇ。いつ来たの?」
市街を歩いていると突然、流暢な日本語で話しかけられる。
見ると口ひげをたくわえた40がらみの男。日本語をしゃべってはいるが、外見はあきらかにペルー人だ。
【52日目3】 ペルー・リマ
「私、今お金持ってないよ」
チャーリーは平然と言い放った。
…金もないのに人を誘って飲み食いするなんて、どういう神経してんだ!?
【54日目1】 ペルー・リマ-イキトス
「ヘイ!タクシー!!」「フリー・トランスポート!!」
イキトスの空港に到着するやいなや、十数人ものギラギラした眼差しの客引きの男たちに取り囲まれた。
皆口々に同じようなことを並べたて、私に向かって喚き叫んでいる。
まるで血に餓えた獣のように、そして私が美味しそうな獲物であるかのように、激しい争奪戦が繰り広げられている。
【54日目2】 ペルー・イキトス
空港からオンボロ車に乗せられ、市街のとある旅行会社のようなところで降ろされる。
なるほど、ここでまたツアーの勧誘でもしようという魂胆か… と思いきや、勧誘などという生易しいものではなく、ツアーの申し込みをするまでは解放しないぞ!という強行姿勢の、脅迫じみたものだった。
【54日目】 ペルー・イキトス
適当な安宿を見つけ、部屋でくつろいでいると、見知らぬ現地人が私を訪ねてきた。
なんのことはない、またもジャングルツアーの勧誘だ。
それにしても、なんという素早さ!しつこさ! それに、私がここにいることをなぜ知っているのだろう?
【55日目1】 ペルー・イキトス
ツアー一行(欧米人4人組とガイド1名そして私)小型ボートに乗り込み、アマゾン河上流へ。
30分ほどして到着したのは、鬱蒼としたジャングル・密林地帯…ではなく、「雑木林」といった方が相応しいようなところで、少々がっかり。
皆で雑木林をしばらく散策した後、自由時間となった。
何をしようか?と考えるまでもなく、これだけはやろう!と最初から決めていたことがあった。
安直だが、アマゾンといえば「ピラニア」。そう、「ピラニア釣り」をぜひともやってみたかったのだ。
【55日目2】 ペルー・イキトス
ピラニアに襲われて…じゃなくて、情けなくもナマズに刺されて右手中指を負傷した数時間後のこと。
夕食の時間までとくにやることもないので、宿の周辺をひとり散策。
あたりには竹(のようなもの)が繁っていて、その竹を見ていて、ふとひらめいた。
日本から持って来るのを忘れて、ずっと欲しいと思っていた“あるモノ”を、この竹を利用して自分で作ろうと思ったのだ。
【57日目】 ペルー・イキトス
無事?ジャングルツアーを終え、イキトスの町に帰ってきてからも、お腹の具合は一向に良くならないどころか、ますますひどくなっていった。
数時間おきだったのが一時間おきになり、数十分おきになり、ついには便器からはなれられなくなってしまった……
【61-63日目】 ペルー・リマ→チリ・サンチャゴ
詐欺師チャーリーに端を発した一連の悲劇にもめげることなく、広大なアマゾンを見て体験するというこの旅の最大の目的は達成した。
チリのサンチャゴからかなりの距離を北上してきたわけだが、航空券の都合上、またサンチャゴに戻らねばならない。
二十数時間もバスに揺られながらやってきたその道のりを、やはり二十数時間かけて……。
【64日目】 チリ・サンチャゴ→アメリカ合衆国フロリダ州
さんさんと降り注ぐ南国の太陽、どこまでも青い海、白い砂浜。そしてビーチにはビキニ姿の陽気なマイアミガールたち。
【66日目】 アメリカ合衆国フロリダ州-ミシガン州
私「あ、もしもし。Mちゃん?」
M「Fちゃん?今どこなの??」
私「○○のバス停にいるんだけど」
M「ええーーっ!!ホントに来たの!?今迎えに行くから、そこで待っててね!!」
「遊びに行くかもしれない」とハガキに書いてはおいたが、まさか本当に来るとは思っていなかったのだろう、電話口から彼女の驚き具合が伝わってくる。
事前に電話しておくべきだったかもしれないが、彼女の住む街のバス停に着いてから、突然電話をしたのだった。
【68日目】 アメリカ合衆国ミシガン州-アイオワ州
ミシガン大学に留学中のMちゃんには妹(Rちゃん)がいて、やはりバイト先で知り合っていたのだが、Rちゃんもまたアメリカのアイオワ大学に留学中だった。
…なんて国際的な姉妹だろう!
Mちゃんの次はもちろん、アイオワのRちゃんのもとへ。
【71日目】 アメリカ合衆国アイオワ州
この旅も終わりに近い。
いくつかの目的はすでに果たしたし、あとはロサンゼルスへ行きさえすればアメリカ横断は達成、東京に帰り着けば世界一周も達成だ。
【73日目1】 アメリカ合衆国アイオワ州-アリゾナ州
赤茶色の地層のグラデーションに、雲ひとつ無い真っ青な空。
雑誌か何かで写真をみたことはあったが、実物は圧倒的なスケールで、自分の存在のちっぽけさを思わずにはいられなかった。
まさに、広大無辺の大渓谷。
【73日目2】 アメリカ合衆国アリゾナ州
急遽引き返すことになり、下りて来たのと同じ道を今度は登ることになったのだが…これがツライ。
通常の山登りなら「登ってから下る」ところを、この場合は「下ってから登る」わけで、これは肉体的にも心理的にもキツイものがある。
しかも、私は平坦な道なら何時間歩き続けても平気なのだが、登り坂は大の苦手。
それに、ここまではわりと軽快に来たものの、実際には足腰に相当な負担がかかっている。
下りと同じペースで登ったとして2時間…いや、かなりのハイペースで下りてきたから、同じペースなんて到底不可能だ……。
【74-75日目】 アメリカ合衆国アリゾナ州-ネバダ州
グランドキャニオン登頂?の後遺症による全身筋肉痛の重い身体を引きずりながら、グレイハウンドでラスベガスへと移動。
きらびやかなネオンに豪華なホテルの数々。そしてラスベガスといえば、何といっても“カジノ”だ!
街のいたるところにカジノがあり、訪れる人々(私)の射幸心を煽る。
ここに来たからには、やはり一度はカジノをやってみたい。
【75-76日目】 アメリカ合衆国ネバダ州-カリフォルニア州
ラスベガスはカジノで潤っているためか(長居させて金を搾り取る魂胆なのか)他の都市に比べてホテル代が安く、料金のわりには上質な部屋に泊まることができた。
もう2-3泊したいところだったが、時間もお金も残りあとわずか。追い立てられるようにして出発し、この旅の最終目的地であるロサンゼルスへと向かう。
【77日目】 アメリカ合衆国カリフォルニア州
ロサンゼルス最終日。そしてそれは、この旅の最終日でもある。
アマゾン奥地での不名誉の負傷による傷跡もまだ生々しく、様々な思いが去来するが、泣いても笑っても今日で終わり。
帰国用のチケットもすでに入手し、安心して残っているお金を使いきることができる(といっても、百ドルも残っていなかったが)。
【エピローグ】
日本には、居場所がなかった。
そして、帰るべき場所もなかった。
そんな私にとって約3ヶ月ぶりの日本は、「帰ってきた」という感覚も薄く、以前にもまして違和感を覚えるようになっていた。
都会の雑踏に飲み込まれ、私という存在が希薄になってゆくのを感じる……。
