世界一周旅行記一覧
20歳、初めての海外旅行で世界一周したときの旅行記です。『80日間世界一周』ならぬ、『79日間世界一周』。西周りで11カ国(タイ、トルコ、ギリシャ、イタリア、バチカン、フランス、スペイン、イギリス、アメリカ、チリ、ペルー)を訪問しました。
初めての海外旅行であるうえに英語はまったく話せず、さらにはガイドブックも持たず、海外旅行保険すら掛けないという無謀さ。旅先で現地警察のお世話になること三度(爆)。その他様々なトラブルにもめげず、世界一周を達成するまでのドタバタを綴っています。
スマホどころかインターネットすら存在しなかった時代の物話なので、今ならする必要のない苦労がたくさんありました。欲しい情報が瞬時に入手できる現在では世界一周など誰でも簡単にできてしまいますが、困難に立ち向かい、自力でそれを乗り越えていくことにこそ意味がある(世界一周それ自体に価値はない)、と私は思っています。
※このカテゴリのみ古い順(古い話が一番上:時系列)に並んでいます(全61話)。
【プロローグ1】
何の希望もなく、何の目的もなく、ただ何となく生きていた20歳のある日のこと。
バイト先に、その日たまたま一緒に仕事をすることになった見知らぬおじさんがいた。
そのおじさん、自己紹介のつもりなのか、いきなり
「俺はアマゾンから来たんだ」
と、さりげなくひと言。
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【プロローグ2】
すっかりアマゾンに行く気になり、ブラジルまでの具体的なルートを調べたり、あれこれ想像したりしているうちに、未知なるものへの好奇心・冒険心に火が点いた。
ブラジル以外にも、寄ってみたい国が次から次へと溢れ出す。
アメリカ、ペルー、フランス、インド、タイ・・・
思いつくままに、この際行けるところは全部行ってやれ!という気になっていた。
経験がないものだから、距離感も現実感もまるでなく、ほとんど妄想状態で外国というものを安易に考えていたのだ(あるいは、何も考えていなかったのかも)。
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【プロローグ3】
情報収集をすすめていくうちに、「世界一周航空券」なるものの存在を知った。
早速、旅行会社に出向いて詳しく聞いてみると、行きたい都市やルートを明確にするのはもちろんのこと、具体的な日程まですべて決めないと料金を算出することもできないと言う。
つまり、世界一周航空券を買うには綿密なスケジュールを立てる必要があって、買った後はスケジュール通りに行動するしかないってこと?
・・・そんなの、嫌だ!
未知なる世界へと羽ばたく自由の翼を手にするはずなのに、それではまるで決められたレールの上を歩くだけのつまらない人生みたいじゃないか。
そんなやり方ではツアーと大して変わらないし、単に飛行機を乗り継いでいくだけのことだから誰にでもできるし、達成感もないだろう。
もっと自由に、もっと気ままに、もっと冒険的な旅がしたい!
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【プロローグ4】
資金はコツコツ貯めていたものの、具体的にいくら必要なのかがわからなかった。
ガイドブックなどで物価を調べても実感がわかず、1泊300円などと書いてあっても古い情報かもしれないし、安すぎて信じ難い。それに細かいところでハッキリしない部分も多い。
そもそも、どの国にどれくらい滞在するかもハッキリ決めていないし、ほとんど行き当たりばったり同然の計画だったので、見積りの出しようもない。
とりあえず、とくに根拠もなしに、100万円を目標に貯めていた。
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【出発当日1】
通常、国際線のフライトでは“出発時間の2時間前まで”に空港に到着し、チェックイン(搭乗手続き)をすることになっている。
私もチケットを購入した際、確かにそのように言われていた。
ところが、出発時間の2時間前に私はどこにいたのかというと、JR東京駅構内でオロオロしていたのだった・・・。
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【出発当日2】
ギリギリで駆け込み乗車した成田エクスプレスの「グリーン車」。
たった1時間の乗車で五千○百円という料金から、グリーン席というものが普通の席でないことは容易に想像できるが、一体どんなものなのか。
わくわくドキドキ・・・なんてしている余裕などあるはずもなかった。
これに乗れるかどうかで相当パニクっていたので、乗ってしばらくの間は放心状態だったのだ。
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【出発当日3】
出発まであと55分しかなく、成田空港駅に着くや否や猛ダッシュ!
・・・のはずが、いきなり空港ターミナル入り口のところに行列ができている。ここで一旦手荷物とパスポートをチェックするらしい(想定外)。
こんなに猛烈に急いでいる時に行列だなんて、最高にイライラする。
しかし幸いにも迅速に処理されており、わずか数分で通過することができた。
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【出発当日4】
成田発バンコク行きの機内で放心状態からやや落ちつきを取り戻しはじめた頃、何やら全員に紙が配られた。タイの出入国カードだった。
当然ながらすべて英語とタイ語で書いてあり、すべて英語で記入しなければならない。
英語ができない私には記入する英語も問題だったが、それ以前に書いてあることがほとんど理解できない。
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【出発当日5】
そうこうしているうちに、飛行機はあっと言う間にバンコク・ドンムアン空港に到着してしまった。
「おいおい、まだ心の準備ができてないよ!」と叫びたかったが、そうも言っていられないので、まわりの乗客たちの流れに従って降機し、入国審査へと進んだ。
幸い何事もなくスムーズに入国審査を通過し、預け荷物もなかったので他の乗客たちよりも一足先に広い到着ロビーに出た。
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【2日目1】 タイ・バンコク
深夜のバンコク・ドンムアン空港。
初めて異国の地に降り立つも外に出られないというもどかしさを抱えながら、まんじりともせずに夜明けを待ち続けた。
数時間後、人々のざわめきとともに空も白みはじめてきた。
多少の不安もあり、万全を期すために完全に陽が昇るのを待って、いざ空港の外へ出陣!
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【2日目2】 タイ・バンコク
ドンムアン空港から颯爽と街へ繰り出すはずが、言葉ができないがために聞くにも聞けず、バス停で立ち往生。
しかし乗るべきバスもわからずにバスを待ち続けることの無意味さを悟り、覚悟を決めてエイヤ!と適当なバスに飛び乗った。
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【2日目3】 タイ・バンコク
ドンムアン空港から何故か「歩いて」バンコク市街へ向かう羽目になった私。
腹ごしらえも済み、再び歩き始めた。
1時間ほど歩いた頃だろうか、かなり大きな豪華な建物が出現した。「LAKSI PLAZA」とある。
なかなか立派な造りではあるものの、中に入ってみるとどことなくさびれた雰囲気が漂う。
マクドナルドがあったので、入ってジュースを飲むことに。
それにしても、ここは一体バンコクのどの辺りなんだろうか?
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【4日目】 タイ・バンコク
インドのビザを申請するため、バンコク都内にあるインド大使館を訪れた。タイの次はインドに飛ぶ予定だったのだ。
何はともあれパスポートが必要だろうと思い、おもむろにバックパックから取り出そうとすると・・・あれれ? そこにあるはずのパスポートが・・・無い!?
一瞬にして頭の中が真っ白になり、慌てふためいてバックパックの中をまさぐるが、どこにもない。
・・・こ、これはインドのビザどころじゃないぞ!!
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【6-13日目】 タイ・バンコク-チェンマイ-バンコク
無様にもしょっぱなからパスポートを失くしてしまい、計画は大きく狂ってしまった。
しかし泣こうが喚こうが新しいパスポートができるまで1週間、ひたすら待つしかない。せっかくなので、この際気分転換にのんびり観光でもしようと思った。考えようによっては、この1週間はパスポートを盗られる心配もないわけだから気楽なものだ。
北部チェンマイに行き、トレッキングを存分に楽しんだ。
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【13-14日目】 タイ・バンコク
片道航空券を買うために本来必要のないアメリカのビザを安くもない手数料を払って取得したというのに、結局お目当てのチケットは買うことができなかった。
「じゃあ、チケットはもういいからデポジットを返してくれ」
早々に見切りをつけた私は旅行会社の人にそう言った。ところが、
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【15-16日目】 タイ・バンコク
世界一周!などと勇んで日本を飛び出してきたものの、2週間経ってもまだ最初の経由地バンコクでくすぶっている私。
とにかくもう、1日も早く次の目的地に飛び立ちたかったが、ヨーロッパ行きの片道チケットは見つからないまま。
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【19-20日目】 トルコ・イスタンブール
トルコといえば、やはり「トルコじゅうたん」が有名だ。イスタンブールの街中には至る所にじゅうたん屋がある。
しかし貧乏旅行者には無縁のもの。ただ見るだけ。眺めるだけ。
市内を歩いていたら、現地人に“日本語で”声を掛けられた。
え、こんなところで日本語!?と驚きながらもしばらく話していると、何故かじゅうたんの話になり、半ば強引にじゅうたん屋に連れ込まれてしまった。
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【22-23日目】 トルコ→ギリシャ
トルコが気に入らなかったわけではないが、タイで時間を浪費しすぎたこととタイよりも物価が高かったことからゆっくり滞在する気にはなれず、トルコ国内は足早に通り過ぎた。
トルコのクシャダシという港町から、フェリーでサモス島というギリシャの小さな島へと向かった。
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【24-25日目】 ギリシャ・サモス島
サモス島は素晴らしいところではあったが、のんびりするつもりはなかったし、部屋をシェアした韓国人青年に誘われたこともあり、翌日一緒にアテネへと向かうことになった。
サモス島からアテネ近くの港までは船で行く。サモス島に来るときに乗ったフェリーとは違い、かなり大きな船だ。
船に乗り込んで出航を待つが、予定時刻を大幅に過ぎても一向に動き出す気配がなかった。
他に乗客も多数いたので聞いてみるが、事情はよくわからない。
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【26-27日目】 ギリシャ→イタリア
アテネ→ローマ(バチカン)→べネチアと、駆け抜けるようにして通り過ぎた。
アテネでは韓国人青年と別れ一人になったが、イタリアへ向かう船の中で一人旅の日本人女性と知り合い、ローマではまた別の日本人旅行者に誘われ、三人で観光することに。
今回の「旅」は自分の中では「冒険」だったので、観光名所を見てまわるような、いかにも「観光旅行」的なことをするつもりはなかったが、たまにはこんなのもいいかもしれない。
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【29-30日目】 イタリア・ベネチア→ミラノ
べネチア(ベニス)からミラノへ向かう夜行列車。
「ユーレイルパス」を使っていた私は身分不相応な1等コンパートメントに乗り込むが、他に乗客はいない。
6人分の座席を独り占めし、私だけの快適空間に。
真夜中、列車の心地よい振動に身をゆだね、心安らかに眠りについていると・・・なにやら、お腹の辺りがもぞもぞ、もぞもぞ。
なんだなんだ? 夢から現実へと引き戻される。
目の前には男が2人。しかしすぐに姿を消してしまった。
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【31日目1】 イタリア・ミラノ
翌朝、列車は無事ミラノ駅に到着。
ホームに降り立つと、若い警察官らしき人がつかつかと近づいてきた。
イタリア語で何やら話しかけてくるが、まったく理解できない。
しかし有無を言わさず、私をどこかに連れて行く。
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【31日目2】 イタリア→フランス
フランスの「プロバンス地方」に行きたいと思っていた。
日本で「プロバンス風料理」なるものを作る仕事をしていたので、ぜひとも本場の「プロバンス料理」を味わってみたかったのだ。
しかし、直前になって大きな問題が発覚した。それは、「プロバンス地方」がどこなのかわからない、ということだ。
せめて町の名前のひとつでも知っていればよかったのだが、漠然と「プロバンス地方」というだけでは、どこへ向かえばよいのやら。
ガイドブックは持っていなかったし、人に聞くにしてもフランス語はできないし、英語も通じにくいようでお手上げだった。
それでも地図とにらめっこしながらなんとか見当をつけ、Digneという田舎町に辿り着いた。
ここが本当にプロバンス地方なのかどうかは確かめるすべもなかったが、Digneは素朴で穏やかな、とても居心地の良い町だった。
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【32日目】 フランス Digne-Annot
ふと、「アルル」に行きたいと思った。
恥ずかしい話だが、
「教えて~アルルの森の木よ~♪」
という某アニメソングの影響だ。
どんな感じのところなのか、ぜひとも見てみたいと思った。
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【32-34日目】 フランス Annot-MARSEILE-ARLES
「アルルの森」とは別にもうひとつ、「アルル」に対するイメージが私の中にあった。それは、ゴッホの描いた「アルルのはね橋」だ。
中学の図画の教科書の表紙が、この絵だった。ゴッホ独特の力強いタッチに魅了され、よく眺めていたのを覚えている。
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【37日目】 フランス・パリ
「華の都」パリ・・・なんて、誰が言ったのだろう。どんよりとした灰色の空に、都会の喧騒。そして小便の臭い。
華やかなイメージとは裏腹に、あまり良い印象はなかった。
日帰りでスペインまで足を伸ばしていたため二晩続けて夜行列車に乗り、少々疲れてパリに到着。
しかしパリに長居する気はなく、見たいものだけ見てさっさとイギリスへ向かうつもりだった。
パリで私が見たかったもの、私の貧弱な知識の中から浮かびあがってきたものとは・・・
「エッフェル塔」「ノートルダム寺院」・・・この二つだけ。
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【38-41日目】 イギリス・ロンドン
何もかもが高い。高すぎる。
ロンドン市内の公園では野生のリスが走り回り、都会でありながらのどかな雰囲気も漂うが、物価の高さが殺人的で、身の毛もよだつほどだ。無言の圧力を感じる。
ヨーロッパは全体的に物価は高いが、イギリスはひときわ高いようだ。
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【42日目1】 イギリス・ロンドン→アメリカ・ニューヨーク州
旅行中に知り合った人がニューヨークの隣、ニュージャージーに住んでいた。
ぜひ遊びに来るようにと言われていて、電話番号も教えてもらっていたので、ニューヨーク(JFK)に着くとすぐに空港から電話をかけた。
ところが、何度かけても通じない。
毎度のことだがニューヨークに関する情報はほとんど何も持っておらず、この唯一の伝を本気でアテにしていたので、本気で困ってしまった。
時刻は午後7時過ぎ。外はもう真っ暗だ。早急に今夜の宿を確保しなければ・・・。
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【42日目2】 アメリカ・ニューヨーク州
ホテル探しの最中、道端にうずくまる不気味な男に話しかけられた私。
夜も遅いというのになかなかホテルが見つからず、焦っていたこともありついていくことに。
男についていく危険性よりも、こんな殺伐としたところを独りで歩きまわることの方に危険を感じていたというのもある。
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【42日目3】 アメリカ・ニューヨーク州
10月下旬のニューヨークの夜は、少し肌寒い。
疲れ果てた体を休めるには堅すぎ、冷たすぎるスチール製の机の上で、胎児のように丸まっていたが、外気と机に体温が奪われてゆく・・・。
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【42-43日目】 アメリカ・ニューヨーク州
パトカーに乗せられて連れて行かれた場所は、寂れたファーストフードらしきお店。
日本語が話せる人がいるとのことだったが、なんのことはない、そこで働いていたのは中国人だった。
人種的には近くても、言語的には全然遠い。一応話してみるが、当然通じるわけもない。
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【43日目】 アメリカ・ニューヨーク州
国連本部の日本人職員は、突然の珍客来訪にいかにも迷惑顔だった。
同じ日本人なのに・・・と思わなくもなかったが、バツがわるかったのでとりあえず現在位置の確認だけしてそそくさと退散。
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【43-44日目】 アメリカ・ニューヨーク州→チリ・サンチャゴ
ついに憧れの南米大陸に降り立った。
南米といえば広大なアマゾン、ジャングルだ。サンチャゴの空港から市内へと向かうバスの中で、ワクワクしながら外の景色を眺めると・・・あれれ? イメージと全然違う!
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【45日目】 チリ・サンチャゴ
市街を散策中、30代半ばくらいの日本人男性と知り合った。
彼は旅行者ではなく、スペイン語を習うためにホームステイしているとのことだったが、まだこちらに来て日が浅いらしかった。
一緒に食事をしてから街をブラついていると、突然大勢の人たちが大騒ぎしながら逃げ惑う場面に遭遇。何がなんだかよくわからなかったが、一緒になって走って逃げた。
妙な臭いがして目が痛い。涙が出てくる・・・。
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【47日目】 チリ・サンチャゴ-タクナ
南米に来たはいいが、私が見たかったのはあくまで「アマゾン」であり、近代的な文明都市ではない。
それともうひとつ、どうしても見ておきたいものがペルーにあったので、早速ペルーを目指すことにした。
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【48日目】 チリ・アリカ→ペルー・タクナ
「マニャーナ!」
ペルーに入国したはいいが、ペルーの通貨を持っていないので両替しなくてはならない。
ところが、聞く人聞く人みんな「マニャーナ」と言うだけ。意思が伝わっているのかどうかもあやしいところだが、意味不明。
私はスペイン語は全くわからず、数字はもちろんのことハイもイイエも何ひとつ知らない。そして現地の人たちは英語が全くわからないという、意思の疎通が極めて困難な状況。
それでもお金がなくてはどうにもならないので、何人もの人に声を掛け続けた。「マネー」「エクスチェンジ」と身振り手振りで訴えるのだが、返ってくるのは決まって「マニャーナ」。
“マニャーナ”って一体なんなんだ?
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【49日目】 ペルー・タクナ→
国境の町タクナからさらにバスで北上。
行けども行けども人家も緑も何もない、岩と砂漠ばかりの荒涼とした風景が続く。
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【50日目】 ペルー・タクナ-ナスカ
南米には2つの大きなテーマがあった。
ひとつは「アマゾン」で、もうひとつは「ナスカの地上絵」だ。
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【51日目1】 ペルー・ナスカ
その六人乗りのセスナは、少し頼りなげに見えた。
整備はちゃんとされているのだろうか? という不安もあったが、何よりもその小ささが気になった。
こんなに小さな飛行機は見るのも乗るのも初めてで、こんなので本当に飛べるのかな?という印象だった。
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【51日目2】 ペルー・ナスカ
ジェット機とセスナの違いは、大型客船と小型フェリーの違いによく似ている。大きさの違いだけではなく、“揺れ具合”もだ。
飛び立ってから15分程経った頃だろうか。私の肉体に奇妙な違和感・・・異変が起こり始めた。
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【51日目3】 ペルー・ナスカ
セスナでの地上絵遊覧を終え、一旦宿に戻った。
宿は軽食屋も兼ねていて、店先にはメニューが張り出されている。
メニューの中には「JUGO DE NARANJA」なる奇妙なものがあり、ナランジャってなんじゃらほい・・・と一人考えていると、宿の主人が
「フーゴ・デ・ナランハ、飲むかい?」
と聞いてきた。
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【52日目1】 ペルー・ナスカ-リマ
ペルーの首都リマに着いてすぐのこと。
宿探しをしている最中、警察官らしき制服に身を包んだ男に声をかけられた。
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【52日目2】 ペルー・リマ
「やあ、寒いねえ。いつ来たの?」
市街を歩いていると突然、流暢な日本語で話し掛けられた。
見ると口髭をたくわえた40がらみの男。日本語を喋ってはいるが、外見は明らかにペルー人だ。
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【52日目3】 ペルー・リマ
「私、今お金持ってないよ」
チャーリーは平然と言い放った。
金もないくせに人を誘って飲み食いするなんて、一体どういう神経してるんだ?
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【54日目1】 ペルー・リマ-イキトス
「ヘイ、タクシー!」「フリー・トランスポート!」
イキトスの空港に到着するや否や、十数人ものギラギラした眼差しの客引きの男たちに取り囲まれた。
皆口々に同じようなことを並べ立て、血に餓えた獣のように私に向かって喚き叫んでいる。そして私が美味しそうな獲物であるかのように激しい争奪戦が繰り広げられている。
無視したいところだが、他に獲物が見当たらないせいか十数人もの客引きたちは一向に諦める素振りも見せない。
だんだん殺気立ってきたこともあり、仕方なくその中から一人を選び、ひとまず街まで連れて行ってもらうことに。
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【54日目2】 ペルー・イキトス
空港からオンボロ車に乗せられて、市街のとある旅行会社のようなところで降ろされた。
なるほど、ここでまたツアーの勧誘でもしようという魂胆か・・・と思いきや、勧誘などという生易しいものではなく、ツアーの申し込みをするまでは断じて解放しないそ、というような強行姿勢の、脅迫じみたものだった。
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【54日目】 ペルー・イキトス
適当な安宿を見つけて部屋で寛いでいると、見知らぬ現地人男性が私を訪ねてきた。
なんのことはない、またしてもジャングルツアーの勧誘だ。
それにしてもなんという素早さ、しつこさだろう。それに私がここにいることをなぜ知っているのだろう。
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【55日目1】 ペルー・イキトス
ツアー一行(欧米人4人組とガイド1名そして私)は小型ボートに乗り込み、アマゾン河上流へ。
30分ほどして到着したのは、鬱蒼としたジャングルの密林地帯・・・ではなく、「雑木林」と言った方が相応しいようなところで少々がっかり。
皆で雑木林をしばらく散策した後、自由時間となった。
何をしようかと考えるまでもなく、これだけは是非やろうと最初から決めていたことがあった。
安直だがアマゾンと言えば「ピラニア」。そう、「ピラニア釣り」をやってみたかったのだ。
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【55日目2】 ペルー・イキトス
ピラニアに襲われて・・・ではなくて、情けなくもナマズに刺されて右手中指を負傷した数時間後のこと。
夕食の時間までとくにやることもないので、宿の周辺をひとり散策。
あたりには竹のようなものが繁っていて、その竹を見ていたら、ふと閃いた。
日本から持って来るのを忘れてずっと欲しいと思っていた“あるモノ”を、この竹を利用して自分で作ろうと思ったのだ。
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【57日目】 ペルー・イキトス
無事ジャングルツアーを終えてイキトスの町に帰ってきてからも、お腹の具合は一向に良くならないどころかますますひどくなっていった。
数時間おきだったのが一時間おきになり、数十分おきになり、ついには便器から離れられなくなってしまった・・・。
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【61-63日目】 ペルー・リマ→チリ・サンチャゴ
詐欺師チャーリーに端を発した一連の悲劇にもめげることなく、広大なアマゾンを見て体験するというこの旅の最大の目的は達成した。
チリのサンチャゴからかなりの距離を北上してきたわけだが、航空券の都合上またサンチャゴまで戻らねばならない。
二十数時間もバスに揺られながらやってきたその長い長い道のりを、やはり二十数時間かけて・・・。
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【64日目】 チリ・サンチャゴ→アメリカ・フロリダ州
燦々と降り注ぐ南国の太陽、どこまでも青い海、白い砂浜。そしてビーチにはビキニ姿の陽気なマイアミガールたち。
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【66日目】 アメリカ・フロリダ州-ミシガン州
私「あ、もしもし、Mちゃん?Fだけど」
M「Fちゃん!?今どこなの?」
私「○○のバス停にいるんだけど」
M「えーー!!ホントに来たの!?今迎えに行くから、そこで待っててね」
「遊びに行くかもしれない」と葉書に書いてはおいたが、まさか本当に来るとは思っていなかったのだろう、電話口から彼女の驚き具合が伝わってくる。
事前に電話くらいしておくべきだったかもしれないが、彼女の住む街のバス停に着いてから、突然電話をしたのだった。
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【68日目】 アメリカ・ミシガン州-アイオワ州
ミシガン大学に留学中のMちゃんにはRちゃんという妹がいて、やはりバイト先で知り合っていたのだが、Rちゃんもまたアメリカのアイオワ大学に留学中だった。
なんて国際的な姉妹だろう!
Mちゃんの次はもちろん、アイオワのRちゃんの元へ。
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【71日目】 アメリカ・アイオワ州
旅も終わりに近い。
すでにいくつかの目的は果たしたし、あとはロサンゼルスへ行きさえすればアメリカ横断は達成、そこから東京に帰れば世界一周も達成だ。
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【73日目1】 アメリカ・アイオワ州-アリゾナ州
赤茶色の地層のグラデーションに、雲ひとつ無い真っ青な空。
雑誌か何かで写真をみたことはあったが、実物は圧倒的なスケールで、自分の存在のちっぽけさを思わずにはいられなかった。
まさに、広大無辺の大渓谷。
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【73日目2】 アメリカ・アリゾナ州
急遽引き返すことになり、下りて来たのと同じ道を今度は登ることになったのだが、これが結構辛い。
通常の山登りなら「登ってから下る」ところをこの場合は「下ってから登る」わけで、肉体的にも心理的にも相当堪える。
それに私は平坦な道なら何時間歩き続けても平気なのだが、登り坂は大の苦手。
ここまではわりと軽快に来たものの、実際には足腰に相当な負荷がかかっている。
下りと同じペースで登ったとして2時間。いや、かなりのハイペースで下りてきたから同じペースでなんて到底不可能。
坂道を転げ落ちるように下るのはあっという間だが、底から這い上がるのは非常に困難。
まるで人生の縮図だ。
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【74-75日目】 アメリカ・アリゾナ州-ネバダ州
グランドキャニオン登頂?の後遺症による全身筋肉痛の重い体を引きずりながら、グレイハウンドでラスベガスへと移動。
きらびやかなネオンに豪華なホテルの数々。そしてラスベガスといえば、何といっても“カジノ”だ。
街の至る所に大小様々なカジノがあり、訪れる人々(私)の射幸心を煽る。
ここに来たからには、やはり一度はカジノをやってみたい。
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【75-76日目】 アメリカ・ネバダ州-カリフォルニア州
ラスベガスはカジノで潤っているせいか、あるいは長居させて金を搾り取ろうという魂胆なのか、他の都市に比べてホテル代が安く、料金のわりには上質な部屋に泊まることができた。
もう2-3泊したいところだったが、時間もお金も残りあとわずか。追い立てられるようにしてここを出て、この旅の最終目的地であるロサンゼルスへと向かった。
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【77日目】 アメリカ・カリフォルニア州
ロサンゼルス滞在最終日。それはこの旅の最終日でもあった。
アマゾン奥地での不名誉の負傷による傷跡もまだ生々しく、様々な思いが去来するが、泣いても笑っても今日で終わり。
帰国用のチケットもすでに入手し、安心して残ったお金を使い切ることができる。といっても、百ドルも残っていなかったが。
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【エピローグ】
日本には居場所がなかった。帰るべき場所もなかった。
そんな私にとって約3ヶ月ぶりの日本は「帰ってきた」という感覚も薄く、以前にも増して違和感を覚えるようになっていた。
都会の雑踏に飲み込まれ、私という存在が希薄になってゆくのを感じる。
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はじめまして^^ 私は今、20の大学生です。
友人多数(笑)から「君はバックパッカーに向いているよ!!」とひどく念を押されて、興味半分、消極性半分、それに関するネットサーフィンを行っていたところ、このサイトにたどりつきました!!
「旅行記」を読ませていただいて、すごく自分の経験に比類して、旅の楽しさ!!(裏側の厳しさ(泣))に胸をうたれています。
そしてひとつ疑問をもったのが、「世界一周旅行記」の「その後?(長い長い旅の幕開け)です」。今はどうなっているのか?、たとえばなぜラオス?に住んでいるかなど不思議に思っています!!
簡単でいいので話を聞かせてもらえませんか?よろしくお願いします!!
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